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沖仁 21年目の現在地

Flamencofanインタビュー


(miércoles, 29 de noviembre 2023)


昨年デビュー20周年という節目を迎え、11月からスタートしたオリジナルアルバム発売記念ツアーを今年7月に完走したフラメンコギタリスト、沖仁。最近ではソロやコラボの演奏活動や楽曲制作に加えて、アコーディオン奏者cobaとのユニット活動を立ち上げたり、またワークショップを通して後進の指導にも精力的に取り組むなど、さまざまな活動に力を注いでいる。

そんな多忙な日々を送る中、最近の活動やこれまでのキャリアの分岐点、さらには好きなギタリストの話など、活動21年目となる今について語ってくれた。


聞き手/金子功子

Entrevista por Noriko Kaneko


沖仁プロフィール写真©Kohta Nunokawa
(写真)©Kohta Nunokawa

――20周年アルバム発売記念ツアーを終えてのご感想はいかがですか。


:2002年の7月から数えて20周年を迎えました。ツアーは去年11月の第一生命ホール東京公演から始まり名古屋大阪、仙台はやむを得ず中止になってしまいましたが、福島、そして7月のブルーノート東京でのアフターパーティーと、かなり長い期間にわたったので、全てが同じ内容でもないしずっと同一メンバーでもないので、そういう意味ではツアーと言っても最初と最後ではずいぶん変わりました。ツアーの途中でどんどん変えていきたいという思いや新しいアイデアも生まれてきて、曲自体を変えたり、同じ曲でも編成やアレンジを変えたりもしました。必然的に変わったことなどもありましたが全て含めて、このツアーで自分がすごく成長させられたし学び取る物も多かったです。


――その中でも印象深い公演はありますか。


:最初の東京公演ですね。一番大きい会場でしたし出演者も一番多くて、通常の公演ではできないことをたくさんやらせてもらえました。


 また最後のブルーノート公演も、お店側から「フラメンコ然としたことをやってほしい」というリクエストを頂き、それが割とうれしい内容でした。他の公演だと「一般の音楽ファンが楽しめる内容を」と望まれることが多いのですが、この時は「沖さんならではの尖ったフラメンコを見せてほしい」と言っていただいたので、カバー曲なども入れずにフラメンコの曲種に基づいたものを中心にやりました。演奏後はお客様からスタンディングで盛大な拍手をいただけたので、20周年ツアーを終えてこれからの自分のいろんな方向性の中で、今後の1つの方向を指し示してもらえたようで非常に良かったです。


――ブルーノート公演では、いつも同行される伊集院史朗さんに加えて三枝雄輔さんが参加されていましたね。新鮮な組み合わせだな、と感じました。


:三枝君とは去年からご一緒する機会が増えて、自分たちのライブをタブラオ・エスペランサでやったときに久しぶりに顔を合わせました。これまでも会ったことはありましたが、実は共演したことは無くて。僕のステージはどちらかというとフラメンコを拡大解釈したものが入っているから、三枝君のような硬派なタイプの人の好みではないだろうと思い込んでいたんです。でも実際に話してみると共感してもらえそうな部分もいろいろ見えてきました。それで、今年のホセ・ガルベスとのビルボードツアー公演で初めて一緒に回ったら、想像以上にビシッとはまってくれて。次に「塩谷(哲)さんとの舞台があるんだけどどう?」と試しに聞いたら乗ってくれて。そしてブルーノート公演についても恐る恐る聞いてみたら「光栄です」と快く引き受けてくれました。実際にやってみたらここでも想像以上の展開に僕も刺激を受けて、三枝君も面白がってくれるのが伝わってきたからすごく良かったです。


 三枝君は日本人でしかも同年代でありながら、フラメンコの一番核になる部分を大事にしているアーティストなので、とてもリスペクトしています。彼のそういうかけがえのない部分と、僕自身の創作的な部分とが噛み合う形で今後もうまく共演できたら素晴らしいなと思います。


*****


――沖さんのこれまでの音楽活動を振り返ってお聞きしたいと思います。20年間の活動の中で、ターニングポイントとなった出来事や思い入れの強い作品などはありますか。


:アルバムなどの作品については、毎回自分なりの思いの丈を詰め込んで作っているので比べられないけど、僕自身のキャリアとしてのターニングポイントという意味で言えば、2010年にスペインのコンクールで優勝したことですね。あの当時はこのままやっていても難しいかなと精神的に追い詰められていて、賞が取れなかったら方向性を変えなければ、という覚悟で臨んだコンクールでした。


――当時の様子はTV番組「情熱大陸」で放送されましたね。


:番組サイドからコンクールを題材に撮りたいと言われ、決まったのもコンクールの2~3週間前と直前でした。もともと僕はコンクールに一人で行くつもりだったのですが、事務所やレコード会社が動いてくれて「情熱大陸」に結び付けてくれて。急遽、連日取材やインタビューが入るようになって、プレッシャーもあったけどチャンスでもありました。後にも先にもこんなプレッシャーを感じる事はなかなか無いかと思います。


――コンクールの後、環境は変わりましたか。


:何かが変わったということはないけど、番組がすぐオンエアされて、それに伴ってテレビやラジオ、新聞といろんなメディアに取り上げられました。そうすると、番組をきっかけに興味を持ってくれた人がコンサートに来てくれたりと、波及するように反響が活性化していきました。また、コンクール直前に作っていたアルバムが偶然この時に重なって発売されたのですが、賞を取った直後にセールスにつながって、メディアの力はすごいと思いました。


――その後芸能界でのお仕事が増えてきて、様々なミュージシャンや歌手の方との共演もあったかと思います。その中で沖さんが音楽面で影響を受けたことはありますか。


:歌手の玉置浩二さんからは、たくさんの事を学ばせていただきましたね。2013年頃に初めてお会いして、一時期頻繁にお仕事する機会がありました。僕はカンテ伴奏をヘレスに住んでいた頃から真剣に取り組んできて、アグヘータの伴奏もやらせていただいたりしましたが、カンテ伴奏について自分なりに体得したことが玉置さんにもそのままあてはまるんだなあと思いました。他にもすごい歌い手さんたちとも共演させていただいてますし、僕が天才と思っている人はたくさんいますけど、やはり1人だけ挙げろと言われたら真っ先に思い浮かぶのは玉置さんです。ミュージシャンとして大きな影響を受けた方です。玉置さんはアコースティックギターも弾くけど、弾き語りでナイロン弦のギターを使う時はフラメンコギターを弾いてますね。


*****


――ワークショップの活動についてもお聞きしたいと思います。何年か前から始められて、昨年の東京公演では生徒さんも出演されましたね。


:ワークショップは実は10年以上やっていまして、1回完結のスタイルでいつもやっていました。初めのうちは僕のスケジュールの時間が取れるときに不定期にやっていましたが、気づいたらレギュラーで受けてくれている人も増えて定着してきていました。それがコロナで途切れちゃうかなと思ったけどリモート形式で乗り越えてこれたので、これは何か形にしたいなと。僕としては初期の頃からみんなで合奏をしたいという思いがありました。フラメンコギターのソロは高度なテクニックが求められるので、踊り伴奏10年、歌伴奏10年でやっとソロが弾けるなんて言われるけど、それではハードルが高すぎるから、合奏ならもう少しハードルを下げられるのではと思い、合奏をキーワードとして掲げています。これまでフラメンコギター・アンサンブルとしてやっていましたが今は「エル・トーケ」という名前に変えて、来年3月に演奏会も予定しています。目標がある方がみんな張り切るだろうと思い、そこに向けて今年はこれまでよりペースや頻度を上げてやっています。


――発表会をやると決まって、生徒さんたちのモチベーションは変わりましたか。


:前から皆さん真剣にやってくれているので特に変化はないですね。ただ、これまでよりペースが早くなったので大変になったとは思います。それでもついてきてくれているのはうれしいですね。僕は来る者は拒まずなので、大変そうなときは一旦休んでまた戻ってくればいいし、遠方から来てくれてる方もいるので、それぞれの事情に合わせて楽しくできるのが一番ですよ、と伝えています。無理すると続かないですから。


 フラメンコギターにはいろんな付き合い方があると思うんです。毎日弾く人もいればたまにしか弾かない人もいる。そんな人たちが集まってみんなで楽しめるような場があったらいいと思っています。フラメンコギターって求められるものが大きいですが、気軽に取り組む人がいてもいい。いろんな付き合い方でいいよ、というのをすごく大事にしています。


*****


――音楽活動では最近cokibaというユニット活動を始められましたね。きっかけや、今後の予定など教えてください。


:去年の夏ごろに、アコーディオニストのcobaさんからお話があって「ユニットやってみない?」とお誘いを受けました。僕は音楽ユニットをやったことがなくて、例えばジャズギタリストの渡辺香津美さんとはコラボとして一期一会の気持ちでいつもやらせてもらっていましたが、これはユニットではないので「コラボとユニットの違いが分からない」と伝えたところ、「曲をどんどん作ろうよ」と。一期一会のセッションだと、カバー曲やお互いのオリジナル曲を持ち合ってのステージになることが多いので、ユニットを意識したオリジナル曲を作ろう、と。


 僕はこれまで演奏家のアコーディオニストとしてのcobaさんしか知らなかったのですが、作品を聴かせてもらったらハープの曲を書いたりクラシックギタリスト荘村(清志)さんのアルバムを全曲アレンジしたりと、作家としても幅広く活動されていて。そんな作家性の強いcobaさんと一緒にやることで、自分の作家としての部分も掘り下げていきたいと思い賛同しました。


 今後についてはライブもいくつか決まって、レコーディングも始まってアルバムを出せるくらいの曲数が溜まってきました。自分が弾くのを前提で作るのでなく、人が弾くのを前提で作るというのは刺激的ですね。


*****


――最近注目しているギタリストや、沖さんが好きなギタリストなど教えていただけますか。


:最近だと、日本では徳永兄弟が活躍してますね。彼らとは世代も辿ってきた道も全然違うし、フラメンコギターの捉え方や表現の仕方も違うので、良い意味で大きく刺激をもらっています。彼らがどんどん世に出てフラメンコを広げていくことを陰ながら応援しています。


 スペインのアーティストでは、職業柄つい研究として聴いてしまったりもするのですが、僕個人のアフィシオンとしてはヘレスのカンテ物をよく聴きます。より詳しく言うと、そこで弾いてるギターを聴いたり、カンテとギターの絡み合いやコミュニケーション具合を聴いている、という方が正しいです。そういう点では、身近な人でもあるけど、ホセ・ガルベスのカンテ伴奏は一級品ですね。


 長年好きなのは、ちょうど今年来日したカニサレスさんですね。ファーストアルバムの頃から聴いていますし、スタイルが変わっていく具合も含めて素晴らしいなと思ってます。


 また、ビセンテ・アミーゴは僕にとってフラメンコギターを志すきっかけとなった人で、普通にファンみたいな心理で聴いています。実は、10代の頃クラシックギターで留学していたカナダから日本に一時帰国していて、その後アメリカの音楽院へ留学してホームステイ先も教授のところでお世話になることまで決まっていたんです。その時に、ビセンテ・アミーゴを初めて聴いて、衝撃を受けて。もしかしたらこっちが自分のやりたい音楽なんじゃないか、と急に悩み始めてしまって…結果としてアメリカ行きをやめてしまったのです。そのきっかけをくれたのはビセンテだったので、忘れ難いですね。


【プロフィール】

沖仁(Oki Jin)/1974年、長野県軽井沢町生まれ。

14歳より独学でエレキギターを始める。カナダで1年間クラシックギターを学び、その後スペイン・アンダルシアに居を移す。生きたフラメンコを吸収しながら日本とスペインを往復し20代を過ごす。

1997年、一時帰国中に日本フラメンコ協会主催新人公演奨励賞を受賞。

2000年5月に帰国。2002年にデビュー作となる1stソロアルバム『Una manana en Bolivia(ボリビアの朝)』を自主制作盤としてリリース。

2006年11月、3rdソロアルバム「Nacimiento[ナシミエント]〜誕生〜」でEMI MUSIC JAPANよりメジャーデビュー。NHK大河ドラマの紀行テーマ曲を担当したりフジロック・フェスティバルに出演するなど、その活動の幅を広げていく。

2010年、スペイン三大フラメンコギターコンクールのひとつ「第5回ムルシア “ニーニョ・リカルド” フラメンコギター国際コンクール」国際部門でアジア人として初めて優勝。その模様をTBS系「情熱大陸」でオンエアされ大きな反響を呼び、その後EXILEに楽曲提供、フジテレビ系「ヨルタモリ」へ常連客として出演するなど、その名が広く知られることになる。

2022年、デビュー20周年記念アルバム『20 VEINTE』をリリース、全国ツアーを展開する。

近年はフラメンコギター・アンサンブルを立ち上げ、後進の育成にも力を入れながら楽曲提供、プロデュース、執筆にも力を注ぎつつ、唯一無二のフラメンコギターの追求を続けている。


*cokiba/アコーディオニストcobaとフラメンコギタリスト沖仁が、二人でしか作り出せない新たな音楽を目指して2023年に立ち上げたユニット。このユニットのために書き下ろす互いのオリジナル曲を提げて、まだ見ぬ新しい音楽境地を目指している。


※沖仁さんの今後のライブ情報などは、こちらをチェック!


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