(lunes, 10 de abril 2023)
文/エンリケ坂井
Texto por Enrique Sakai
昨年12月号で休刊した月刊パセオに連載した「カンテフラメンコ奥の細道」をWEBで続ける事になった。No.23からの再出発となるが、新たな気持ちで続けてみようと思う。
CD『グラン・クロニカ・デル・カンテ』vol.4より
㉓ Niña de los Peines(ニーニャ・デ・ロス・ペイネス) の Rumba(ルンバ)
前回ミロンガを取り上げたが、中南米から逆輸入されてフラメンコ化したカンテス・デ・イダ・イ・ブエルタ(往って帰ってきたカンテ)の続きでルンバを取り上げよう。
厳密に言えば、ルンバはアフリカから中南米へ、そしてスペインに入った音楽だが、17世紀の終わりから18世紀の初頭にフラメンコ化して歌われるようになった。
残された古い録音は非常に少ないが、その中でも1918年のパストーラ(*編集部注/ニーニャ・デ・ロス・ペイネスの本名)の録音は初期のルンバ・フラメンカの姿を再現していて非常に興味深い。
大きな特徴は、現在のようにカンシオンをルンバのリズムに乗せて歌うのではなく、アレグリアスやソレアーのように短い歌詞をいくつか歌う事によってルンバスという形式のアイレ、グラシアなどを表現している事だ。最初のレトラを書き出してみる。
(歌詞)
Cuando yo miro,
cuando yo veo los ojitos negros,
lo mismito que mi suerte,
yo no sé por qué me mareo,
y creo yo que me dan la muerte;
creo que me dan la muerte,
yo creo que me darán la muerte,
cuando yo miro los ojitos negros
lo mismito que mi suerte.
私が見ると…、
あんたの黒い瞳を見ると、
私の運命と同じ黒い瞳、
なぜか知らぬが目眩がする。
きっと私を殺してしまう、
きっと私の心を殺すでしょう、
きっと私を殺すふたつの眼、
私の運命と同じの
あんたの黒い瞳を見ると。
さて、歌った通りに書いたこの歌詞の繰り返しや、強調のための余分な単語や縮少辞を取ると、以下の通りの詩の原型が見えてくる。
Cuando miro los ojos negros
lo mismito que mi suerte,
no sé por qué me mareo
y creo que me dan la muerte.
つまり4行詩+4行目+4行目+1行目+2行目という構成になっている。このルンバでパストーラは5つのコプラ(短い詩)を歌っているが、基本的な構成は変わらない。
パストーラという天才がこの録音を残した事によって、初期のルンバがフラメンコ的な形式であった事や、その雰囲気を伝えてくれる素晴らしい手本となっている。
明るいながらも重量感を持ち、その中にグラシアや渋みを持ったこの曲は聴けば聴く程味わいが増してくる。
例によって直訳を付けたが、この詞の死は「私の心を殺す→私を参らせる、とりこにする」と考えれば良いと思う。日本語にも「悩殺」という言葉があるが、今や死語かも知れない。
相手の黒い瞳を見ると私の運命と同じ、という事は二人が恋をして同じ運命の道を歩む、という事なのだろう。伴奏のギターがもう少し中南米のルンバの感じを出すとよりルンバらしくなると思うのだが、何せ100年以上も前の録音だから奏法も確立していなかったのだろう。現在の奏法になるのは、1960年くらいからだ。
【筆者プロフィール】
エンリケ坂井(ギタリスト/カンタオール)
1948年生まれ。1972年スペインに渡り多くの著名カンタオールと共演。帰国後カンテとパルマの会を主宰。チョコラーテらを招聘。著書『フラメンコを歌おう!』、CD『フラメンコの深い炎』、『グラン・クロニカ・デル・カンテ』vol.1~32(以下続刊)。
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