(miércoles, 19 de julio 2023)
スペイン在住30年以上、多数の一流フラメンコ・アーティストらとも親交のあるフラメンコ・ジャーナリスト志風恭子が、歌・踊り・ギターそれぞれの代表的アーティストらのプロフィールをピックアップ。過去の取材で撮影した写真や、チェックしておきたい動画などもご紹介します。
文・写真/志風恭子
Texto y fotos por Kyoko Shikaze
(写真)Camarón en Marbella, 1987 ©︎Kyoko Shikaze
José Monje Cruz “CAMARÓN DE LA ISLA”
San Fernando, Cádiz 5-12-1950 - Badalona, Barcelona, 2-7-1992
カマロン・デ・ラ・イスラ
本名ホセ・モンヘ・クルス
1950年12月5日カディス県サン・フェルナンド生、1992年7月2日バルセロナ県バダローナ没
20世紀後半を代表する歌い手、カマロン。芸名は小海老という意味で、幼い頃金髪で色白だったため。イスラは誕生地サン・フェルナンドの昔の呼び名イスラ・デ・レオンから。鍛冶屋だった父を早くに亡くし子供の頃から歌って稼ぐようになり、1968年マドリードのタブラオ出演中にパコ・デ・ルシアと出会い、多くのアルバムを録音。伝統的なフラメンコから、現代的な要素が加わったものまで、声質、音程、リズム、深み、センス、何をとっても天才の名にふさわしい唯一無二の存在で、現代フラメンコの規範と言ってもいいだろう。
(写真)Camarón en Cádiz, 1989 ©Kyoko Shikaze
[動画]
アンダルシアの放送局、カナルスールが没後25周年に制作したドキュメンタリー(スペイン語)。初期の伴奏者でもあったギタリスト、パコ・セペーロや闘牛士クーロ・ロメーロらの証言のほか、ブレリアを踊っているところなど貴重な映像もたくさん収録されている。
カナルスールの開局記念番組のフィン・デ・フィエスタで、ブレリアを歌うカマロン。踊るはマヌエラ・カラスコ。後ろにはフェルナンダ、パケーラらの顔も見えるという豪華版。
全編はこちらで視聴可能。
(写真)Paco en Málaga, 2007 ©︎Kyoko Shikaze
Francisco Sánchez Gómez “Paco de Lucía”
Algeciras, Cádiz, 21-12-1947 - Playa del Carmen, Quintana Roo, México 25-2-2014
パコ・デ・ルシア
本名フランシスコ・サンチェス・ゴメス
1947年12月21日カディス県アルヘシラス生、2014年2月25日メキシコ、プラジャ・デル・カルメン没
アマチュア・ギタリストの父の元、幼い頃から厳しくギターを学ばされ、14歳で2歳上の兄である歌い手のペペとともに初録音。舞踊団伴奏や歌伴奏と並行して、長兄ラモン・デ・アルヘシラスらとのギター・デュオでの多くのアルバム録音を経て、20歳でソロアルバムを発表。『二筋の川』のヒット、75年の王立劇場でのリサイタルを経てその名声は不動のものとなる。さらにジャズとの共演、フルートやベースなども取り入れたグループでの活動、ペルーの楽器カホンの導入(これにより世界的に普及)など現代フラメンコの礎を築き、神とも呼ばれる。芸名はフランシスコの愛称にポルトガル人の母ルシアの名前をつけて「ルシアのパコ」という意味。
(写真)Paco con septet en Vienne, Francia, 2000 ©︎Kyoko Shikaze
[動画]
1993年セクステットとのテレビ番組出演時のもの。セクステットは当初パコを入れての6人だったが、のち、舞踊/カホンが加わりパコと6人、またギターや歌の人数が複数になる編成もあるが、便宜上セクステットといわれることが多い。
同じ番組でのアレグリアスのソロ。
(写真)Antonio Gades con Elvira Andrés en Teatro Maestranza, Sevilla 2001 ©︎Kyoko Shikaze
Antonio Esteve Ródenas “Antonio Gades”
Elda, Alicante, 14-11-1936 - Playa del Madrid 20-7-2004
アントニオ・ガデス
本名アントニオ・エステべ・ロデナス
1936年11月14日アリカンテ県エルダ生、2004年7月20日マドリード没
スペイン内戦後マドリードに移り、11歳から家計を助けるため働き始める。稼ぐ手段として舞踊を習い、高名な舞踊家ピラール・ロペスに見そめられ同舞踊団で活躍。1961年退団後は自らのグループ/舞踊団で公演、また映画『バルセロナ物語』にも出演するなどした。1974年に初演した『血の婚礼』は後にカルロス・サウラ監督の手により映画化され、『カルメン』『恋は魔術師』のフラメンコ三部作につながる。78年スペイン国立バレエ団初代監督を務めるが81年辞任。1986年『カルメン』来日公演で日本フラメンコブームを起こし、以後、没後に至るまでたびたび来日。寡作だが、細部に足るまで考え抜かれた名作の数々はガデス舞踊団だけでなく、クラシックのバレエ団などでも上演されている。
(写真)2016年来日公演プログラム
[動画]
ドキュメンタリー『舞踊の倫理』
ドキュメンタリー『肖像』
いずれも貴重な映像が豊富で、舞踊家としてのガデスが俯瞰できるはず。
【筆者プロフィール】
志風恭子(Kyoko Shikaze)/1987年よりスペイン在住。セビージャ大学フラメンコ学博士課程前期修了。パセオ通信員、通訳コーディネーターとして活躍。パコ・デ・ルシアをはじめ、多くのフラメンコ公演に携わる。
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