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新・フラメンコのあした vol.18

(lunes, 5 de agosto 2024)

 

20年以上にわたりスペインで活動するジャーナリスト東敬子が、今気になるスペインフラメンコのあれこれを毎月お届けします。今月は、昨年暮れにマドリードのカナル劇場で上演されたスペイン国立バレエ団の舞台作品についてのリポートです。

 

スペイン国立バレエ団

『ラ・べジャ・オテロ』

カナル劇場・赤の間、マドリード、スペイン

2023年12月16日

 

Ballet Nacional de España

“La Bella Otero”

Teatros del Canal - Sala Roja, Madrid.

16 de diciembre 2023

 

文:東 敬子

画像:宣伝素材

Texto: Keiko Higashi

Fotos: Promoción


A_2408東_BNE la bella otero

 

 「私の人生は振り返ると、リハーサル、本番、らんちき騒ぎ…その繰り返しだったような気がします。私のこの長い「旅路」には、さまざまな男たちが登場しました。彼らは欲望を露わに、私に懇願するのです。ため息をつきながら、時には泣きながら…」

 

 19世紀後半のダンスシーンを華々しく飾った“ラ・べジャ・オテロ”(一般的にはラ・ベル・オテロとフランス語読みで表示)ことカロリナ・オテロの人生は、波乱万丈を絵に描いたようなものでした。その類稀なる美貌で男を翻弄し、のしあがった“ファム・ファタル”。しかしその壮絶な人生に、本当の愛は最後まで訪れなかったのです。

 

 カロリナ・オテロを題材にしたスペイン国立バレエ団による作品『ラ・べジャ・オテロ』は、彼女の人生を反映した様々な舞踊スタイルで魅せる、監督ルベン・オルモの意欲作です。

 

 観終わった感想は、お世辞抜きに、素晴らしいの一言。オルモ監督の舞踊への深い造詣が、そのままステージで披露されたような、見応えのあるものでした。どの場面(舞踊スタイル)も完璧で、素晴らしい。一人の人物の一生を追うその作りも、これまでありそうで無かった。2時間20分の長尺でしたがさほど気にならず、最後は何か、大河ドラマを一気に観たような達成感すらありました。

 

 ただ、この作品を観る前に、カロリナ・オテロに関する予備知識は必要かなと思いました。知らなくても、様々な舞踊スタイルが楽しめるショーとして観ることはできますが、ストーリーが頭に入っていないと混乱する場面もあるでしょう。公演案内には彼女のストーリーがちゃんと説明してあったので、この辺の気遣いも良かったなと思います。

 

美しきオテロ

B_2408東_Carolina Otero

 

 1869年ガリシア州ポンテベドラの貧しい家に生まれたオテロは10歳で奉公に出されますが、そこで性的暴行を受け、生涯消えることのない心の傷を抱えることになります。結果、彼女にとって男性は、利用するだけの道具となっていきました。

 

 14歳で恋人と一緒に奉公先から逃げ出し、場末の歌手・踊り手として働き始め、19歳で当時の恋人の援助を受けてフランスへ移住。「アンダルシア出身のジプシー」という触れ込みでパリのミュージックホールのスターとなり、「ベル・エポック」と称される華やかな時代を闊歩していきます。

 

 街から街へ、国から国へと公演を行い、オテロは瞬く間にヨーロッパ社交界に名を轟かせます。そしてモナコやロシアの大公、イギリス、スペイン、セルビアの王たちと浮き名を流しました。しかし彼女の心は決して満たされることなく、大金を稼いでもギャンブルに注ぎ込む生活の果てに、引退後は貧困を余儀なくされ、1965年フランスのニースにて、97歳でこの世を去りました。

 

 彼女の出身地であるガリシア地方の民族舞踊ムニェイラなどのスペイン舞踊はもとより、サルスエラの要素や、彼女の運命を暗示したビゼーのカルメンの場面など、様々な舞踊に彩られ物語は進んでいきます。

 

 パリのキャバレーのカンカン。当時のカフェ・カンタンテを賑わせたフラメンコ。彼女を有名にした、闘牛士の扮装をして10人のギタリストと共に踊ったブレリア。ワールドツアーで成功を収めた時代では、フレッド・アステアとジンジャー・ロジャースを思わせる踊りや、タップダンスまで登場(流石にこれには驚きました)。身体に宝石だけを身につけ踊った官能的なダンス。ロシアの宮廷の場面では、コンテンポラリーダンスで妖しい雰囲気を演出しました。

 

 そして最後は、過去の栄光を思い落ちぶれた今を憐れむ、というような寂しさを全面に出したラストとなりました。でも私は、別の見方をしています。実は彼女は、割と清々しく人生の幕を閉じたのではないかと思うのです。

 

 彼女はきっと人生の大半を、寂しさと共存してきた。その自分を知っていた。そして実は、騒々しい上っ面の笑顔を憎み、疲れ切っていたのではないか。だからこそ苦しくとも、真実の自分に戻れた晩年の生活に納得して、心穏やかに旅立っていったのではないか。私はそう思うのです。

 

 

【筆者プロフィール】

東 敬子 (ひがし けいこ)/フラメンコ及びスペインカルチャーのジャーナリストとして、1999年よりマドリード(スペイン)に在住し執筆活動を続ける。スペインに特化したサイト thespanishwhiskers.comを主宰。

 

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