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新・フラメンコのあした vol.25 

  • norique
  • 3月1日
  • 読了時間: 4分

更新日:3月7日

(sábado, 1 de marzo 2025)

 

20年以上にわたりスペインで活動するジャーナリスト東敬子が、今気になるスペインフラメンコのあれこれを毎月お届けします。

今月は、昨年10月から11月にマドリードで開催された「スマ・フラメンカ2024」フェスティバルで上演された舞踊家ロシオ・モリーナの公演についてのリポートです。

 

ロシオ・モリーナ

『クアドラール・エル・シルクロ 〜インプロビサシオン・ソブレ・ウナ・オ・マス・コサス』

スマ・フラメンカ フェスティバル

カナル劇場、赤の間、マドリード

2024年10月30日

 

Rocío Molina

"Cuadrar el círculo. Improvisación sobre una o más cosas" 

Festival Suma Flamenca de Madrid.

Teatros del Canal, Sala Roja, Madrid.

30 de octubre 2024

 

文:東 敬子 

画像:宣伝素材

 

Texto: Keiko Higashi

Fotos: promoción

 

2503東_ROCIO MOLINA-foto-Jaime Tuñon

ロシオ・モリーナが、常に新しい表現を追い求めるアーティストである事は、百も承知です。彼女は、ソリスタとして世に出た10代の頃からそうでした。だからその創造性を糧にバイレ・フラメンコの歴史に名を刻んだ彼女に、「追求をやめろ」と言うのは、論外なのでしょう。

 

でも今回の作品で、私は疑問を抱いてしまいました。私には彼女が迷走しているとしか思えませんでした。だからあえて言わせてください。自身の「やりたい事」の前に「観客を楽しませる事」を、もう一度考えてみたらどうかと。

 

今回、「スマ・フラメンカ」フェスティバルの一環として行われた公演『クワドラール・エル・シルクロ』は、「一つもしくは、それ以上のことから生まれる即興」と副題があるように、各場面にインプロを散りばめた2時間越えの作品でした。

 

この作品の主軸は、仲間内で楽しむ“フィエスタ”です。でも大きな集まりではなく、日々の練習やリハーサルが終わって、そのまま稽古場でお酒を飲んだりして、なんとなく始まったと言う感じ。

 

舞台には小さなテーブルがあり、お酒の入ったグラスが一つ。テーブルを挟んでホセ・エル・オルーコとロシオが向かい合い、オルーコが歌うと、ロシオがテーブルを拳で叩きコンパスを刻む。興がのってきたら立ち上がってサパテアードを踏んだり。

 

インプロと銘打ってある以上、面白い事が起こるかどうかの「保証」はありません。不安な観客をよそに、二人の絡みは延々と続きます。そしてギターのジェライ・コルテス、エドワルド・トラシエラ、カンテのぺぺ・デ・プーラらが加わり、ロシオが踊る場面も増えて行きますが、テーブルを囲んだ彼らはそれぞれを見つめ、観客の方を向いている者は誰もいません。

 

この間、照明はずっと、目を凝らさなきゃいけないほど暗く(ロシオの赤いドレスも茶色に見えました)、ロシオが足を打ち鳴らす時も、彼女はテーブルの向こう側で踊り、足元は見えません。一体、なぜ、こんなに自分本位なのか。もう何か異様な感じさえしました。

 

もちろん、ロシオの素晴らしい足捌き、カンタオールやギターの味のある歌声・演奏は分かるのですが、何か大きな壁があるようで、こちらに響かない。挙句、ステージに現れたドラムセットでロシオが演奏を始めると、もう理解不能。

 

ロシオはリズムの天才ですからね。ドラムも器用にこなしていましたし、「へ〜、こんな趣味があるのね〜」と感心はしましたが、所詮は素人さんですから、この時点で私は「一体、何を見せられているんだろう」という気になってしまいました。

 

最後はフィエスタを離れ、踊りで自身の世界を存分に表現したロシオでしたが、私にとっては、時すでに遅し。パンフレットには1時間15分と書いてあった作品が2時間を超し、ずれ込んだその理由が、あのハイライトも無いまま長々と続いたインプロだとしたら、やり過ぎと言わざるを得ないと言う印象に終わりました。

 

2503東_Rocio Morina

多分、「自分のスタジオで普段やってる事をステージで再現」するのが今回の挑戦だったのでしょう。彼らの日常の「かけがえのない時」が、ステージに住む魔物と出会った時の化学反応を期待したんでしょうね。でもそうはいかなかった。

 

もっと狭い空間でだったら、熱も観客に伝わったでしょう。でもあの大きなステージでは、その空気の微妙な動きやノリは観客まで伝わらない。と言うか、それを伝えたかったら、もっと違う演出があったはず。

 

単純に、あの暗い照明は本当にやめてほしいし、感動を求めて観に行った私としては、正直、こんな結果に終わるのであれば、コンセプトや斬新な演出なんかどうでも良いから、今の彼女を踊りで、今の彼らを歌や演奏で素直に魅せてほしかった。もっと、すべての意味で、観客の存在を意識してほしいんです。次回はもっとロシオのアルテをダイレクトに楽しめる作品を期待しています。

 

【筆者プロフィール】

東 敬子 (ひがし けいこ)/フラメンコ及びスペインカルチャーのジャーナリストとして、1999年よりマドリード(スペイン)に在住し執筆活動を続ける。スペインに特化したサイト thespanishwhiskers.comを主宰。

 

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