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新・フラメンコのあした vol.15

(lunes, 6 de mayo 2024)

 

20年以上にわたりスペインで活動するジャーナリスト東敬子が、今気になるスペインフラメンコのあれこれを毎月お届けします。今月も、昨年秋にマドリードで行われた第18回「スマ・フラメンカ」フェスティバルで上演された作品から、ニノ・デ・ロス・レジェスの舞台についてのリポートです。

 

ニノ・デ・ロス・レジェス

『ブエルタ・アル・ソル』

「スマ・フラメンカ」フェスティバル

カナル劇場・黒の間、マドリード、スペイン

2023年10月29日

 

Nino de los Reyes

“Vuelta al Sol”

Festival Suma Flamenca,

Teatros del Canal - Sala Negra, Madrid.

29 de octubre 2023

 

文:東 敬子

画像:宣伝素材  /  東 敬子

Texto: Keiko Higashi

Fotos: Promoción / Keiko Higashi


ニノ・デ・ロス・レジェス スマ・フラメンカ2023 東敬子連載202405

 

 日本でフラメンコを習い始め、「この道でご飯を食べていきたい」と思うに至った練習生にとって、降りかかってくる最初にして最大の難関が、自分は外国人であるという事実です。

 

 練習生の時、自国で活動している間は、スペイン人も「上手」と褒めてくれるし、実際、素晴らしいテクニックや味を持つ日本人もたくさんいるでしょう。でも、スペインの地でプロとして活動するとなったら、話は別です。フラメンコにおいて、この「スペイン人ではない」という事実は、人々の頭からは中々消えない。2020年代の現在も、まだまだこの壁は厚いのが現実です。

 

 だからもしスペインで、いちアーティストとして成功したいと思ったら、本物のフラメンコを追求することはもちろんですが、その偏見を吹き飛ばす「何か」を持った、特別な存在でなければならない。人種やバックグラウンドを超えて、人の目を惹きつけて止まない「自分」を持ったアーティストでなければならないのです。

 

 だからこそ、バイラオール、ニノ・デ・ロス・レジェスは偉大な存在と言えるでしょう。皆さんは彼の踊りを見たことがありますか? 名前も知らないという人がいたら、うーん、もったいない。もしあなたがプロとしてスペインで活動したいと思っているのなら、彼は、そのバックグラウンドを知り、一度は観て感じてほしい踊り手の一人です。

 

 今回、「スマ・フラメンカ2023」フェスティバルで世界初演された『ブエルタ・アル・ソル』では、38歳となった彼のこれまで、そしてこれからを、存分に披露しました。

  

○ニノ・デ・ロス・レジェスってどんな人?

 

 父はスペイン人のバイラオール、ラモン・デ・ロス・レジェス。母はフィリピン出身の舞踊家、クララ・ラモーナ。二人はアメリカ・ボストンの舞踊コンサーバトリーで出会います。そして1985年、彼らの次男としてニノが誕生しました。その後ニノは4歳の時にスペイン・マドリードに移住し、この地でフラメンコ人生を歩んでいくことになります。

 

 母の舞踊団で、兄のイサーク・デ・ロス・レジェスと共に、6歳でプロデビュー。天性のリズム感とフラメンコ性。母から学んだエレガンスを兼ね備えた彼は、まだ10代の頃からエル・グイトやエンリケ・モレンテらのレジェンドたちを始め、カルメン・コルテスやハビエル・バロンなど、様々な舞踊団で活躍することとなります。

 

 彼はまさに、2000年代のマドリード・フラメンコシーンの申し子と言えるでしょう。毎日どこかで大小の公演が行われ、タブラオやフラメンコバルも活気に満ちていたあの頃のマドリードでは、アンダルシアやバルセロナから出稼ぎに来ているアーティストもたくさんいて、まさにフラメンコの中心地。地下鉄ティルソ・デ・モリーナ駅から、フラメンコスタジオのアモール・デ・ディオスがあるアントン・マルティン駅までの道では、いつも誰かしらアーティストに遭遇したものです。ホアキン・コルテスもこのあたりに住んでいましたね。

 

 そんな中、ニノはスタジオだけでなく、ストリートでも、フラメンコにどっぷり浸かってその青春を過ごしました。アラフォーとなった今でも、彼の踊りの中にある遊び心やライブ感は、彼が10代の頃のそれと全く変わらない。今公演でも、カンテのエル・カニート、ギターのイスラエル・セレドゥエラ、パーカッションのルッキー・ロサーダと共に繰り出す即興感あふれるセッションは、私にあの時代の空気を思い出させてくれ、ワクワクを再び呼び覚ませてくれました。


ニノ・デ・ロス・レジェス スマ・フラメンカ2023 東敬子連載202405
©Keiko Higashi

 当夜はステージと客席が近い小さい会場で行われましたが、その前に彼を観た時は野外の大きい会場だったので、それと比べると今回の臨場感は段違いでした。リズム感の凄さや足の速さももちろんですが、そこにあるなんとも言えない重さも、見応えがあります。

 

 年齢による体力の衰えは感じました。苦しそうな顔が時折見える。息も上がっている。でも、全力疾走をやめない。それも彼の生き様なのかなと思いました。そして、いろんな場所でいろんな人と接して自分の世界を広げてきたけれど、やっぱり自分はこれなんだ、ここなんだ、というフラメンコへの向き合い方も、目の前でまざまざと見せてくれました。

 

 2010年にソリストとして発表した『オリへン』で数々の賞を受賞。その後、様々なアーティストと共演し、示してきたその類まれな音楽性がジャズ界の巨匠チック・コリア(1941-2021)の目に留まり、彼の“ザ・スパニッシュ・バンド”に参加します。6年間のツアーを通して、全世界でその踊りを披露。そして参加したコリアのアルバム『アンティドット』(2019)で、フラメンコの踊り手としては初めて米国のグラミー賞を受賞しました。現在はスペインで活動するほか、メキシコの舞踊学校「ラス・カバレス・エン・グアダラハラ」のクリエイティブ・ディレクターを務め、2023年にはアメリカ・ロサンジェルスのバークリー音楽大学にて客員教授も務めました。

 

 本物のフラメンコ性を示し、これだけ世界で求められてもなお、フラメンコ界では彼の出身にこだわる人たちがまだ沢山います。あなたはどうですか。フラメンコはヘレス出身じゃなきゃだめですか? 私はあなたに、ニノ・デ・ロス・レジェスのフラメンコを、その目で観てほしいと願っています。

 

 

【筆者プロフィール】

東 敬子 (ひがし けいこ)/フラメンコ及びスペインカルチャーのジャーナリストとして、1999年よりマドリード(スペイン)に在住し執筆活動を続ける。スペインに特化したサイト thespanishwhiskers.com(https://spanishwhiskers.com/?page_id=326)を主宰。

 

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